こんにちはSayaです。
今回の記事は2つの視点から「イギリス大学院修士課程のエッセイ課題の難易度」について私が感じていることをまとめていきます。
2つの視点というのは以下の二つです。
(1)私が過去にUCLの修士課程に在籍していた頃の「課題に取り組んでいる当事者」としての視点
(2)私がティーチングアシスタントとして修士課程の授業に入り「課題を採点する側」になった視点
立場が変わると、どのように見えてくるのか、過去を振り返りながら、まとめていきます。
イギリス大学院修士課程のエッセイ課題とは?
イギリス大学院修士課程といっても専攻、大学によって、だいぶ違いが出てくると思います。
私は自分が所属していたUCLのIOEの話しかできませんので、その点はご了承ください。
私が所属していた修士課程というのはUCL、IOEの教育社会学のコースなのですが、基本的に課題は1つの授業につき5000 words分くらいのエッセイの執筆が求められます。
おそらく、同じような分野の専攻であれば、似たような課題だと思います。
ちなみに、昔の記事を探してみたら、ちゃんと修士課程の頃の課題に関する記録を残してました!
(さすが、私!と自画自賛してみたりして・・・)
それでですね・・・
この5000 wordsを取り組むにあたり、やっぱり、当時は不安しかないわけです。
まず、イギリスに来るまで5000 wordsのエッセイなんて英語で書いたこともなかったわけですから、何から手をつけてよいのやら・・・。
そして、5000 wordsのエッセイを約1ヶ月ほどの休み期間中に仕上げなければいけない(しかも授業を二つ取っていれば、5000 wordsのエッセイが2本)ということで、朝から晩まで、文献を調べて、読んで、書いてを繰り返す日々でした。
エッセイ課題の評価について
エッセイ課題には、最終提出の前にドラフトの提出日があったりします。
フォーマットは先生によりけりですが、私が修士課程の頃は、半分くらい書いて提出でした。
授業によっては、書けたところまでというのもあった気がします。
そのドラフトに「コメント」が入ってくるんです。
そのコメントをもとに、手直しをするのですが・・・
当時の私は・・・
「コメントの意味がわからない!」
「こんなに学費払っていて、一生懸命課題に取り組んでいるのに、これっぽっちしかコメントくれない・・’・(涙)」
なんて思っていました。
多くの大学の場合、課題の評価基準が書かれているルーブリックが渡されると思うんですが、それを参照すると、どういったエッセイがDistinctionで、どういったエッセイがFailか?ということがわかります。
良い成績が欲しかった私は、そのルーブリックを必死に読んでいたのですが・・・
「クリティカルなエッセイは評価が高いのはわかったけど、どのレベルが十分にクリティカルなのか分かんなーい!!(涙)」
と常々思っていました。
なので、エッセイを提出するたびに、全く自信がないわけです。
評価を受け取るたびに、怖くて怖くてしかたなかったわけです。
一生懸命やっていても、その努力がどうしても成績に反映されていない気がして、「努力する方向だけは、ちゃんと明確に教えてほしい」と思っていました。
ここまでが修士課程の頃の私の思いです。
つづいて、成績評価をする側になった私の視点で修士課程の学生の課題についてどう思っているのかお話しします。
修士課程の学生のエッセイ課題の難易度について思うこと
博士課程の4年目にもなると、修士課程の頃には見えなかった色んなことが見えるようになってきました。
そして、色んなことを教えてもらえるようになってきました。
今年は私が修士課程に学生として履修していた授業の成績評価をしていたのですが・・・
改めて、修士課程のエッセイ課題と向き合い、評価することになった時、やっぱり「課題は難しい」と思いました。
それは、UCLだからなのか?イギリスがそうなのか?分かりませんが、課題のレベルは比較的、高く設定してある気がします。
そして、ずっと課題に対して「漠然としている感覚」を修士の頃は感じていましたが、この漠然とした感覚は、採点側からすると、「課題に柔軟性を持たせている」という見方ができるのではと思いました。
また、課題のレベル感や、高得点を取るためのエッセイの完成度の深さというのは、イギリスの大学院で履修した授業の学びの範囲でカバーできるような内容ではない気がしました。
つまり、学生がそもそも持っているポテンシャルに大きく委ねられている感覚がありました。
本来、課題というのは、授業での学びをアプトプットして、評価をもらうものであると思うのですが、それが、入学前の知識量、経験量、能力、または、入学後の授業外での個人の勉強量の伸び代に、大きく委ねられている感覚があって、採点をしながら少し心が痛くなりました。
もちろん、その力量というのには、言語力も含まれます。
先生方は言語力による差というのは考慮していますし、配慮しています。でも、やっぱり、言語力によって、色々な点で差がついてしまうという状況は免れません。
Critical Thinking が高得点につながる秘訣なんだけど・・・
私が修士課程の頃に細くチェックした「ルーブリック」ですが、当時は、どれが良いクリティカリティなのか分からず、努力の方向性が分からなくなることもあったと言いました。
それが、採点側になるとどう見えるのか?と言いますと、そのルーブリックで求められているDistinctionは「圧倒的なもの」です。
ここでも、色々と思うのですが・・・
Critical Thinkingの深さというは、結局、ある事象の多面性をどれだけ知っているか?ということにも値すると思います。
結局、1ヶ月の課題で読める文献数には限りがありますし、ましてや、英語の文献であれば、私たちは、ネイティブよりも時間がかかって当然です。
さらに、一つの文献に目を通せば、本題に入る前に、意味のわからない哲学的議論についていけなくて、本題の前に自分の現在地がわからなくなることもあるでしょう。
そうやっているうちに時間が過ぎていき、わかった程度でまとめるという流れになると思うのですが・・・その程度の深さであれば、クリティカリティの深さはどの程度のものになるのか・・・?
Critical Thinkingがとても深いものは、「良い文献にアクセスできている」という傾向があります。
自分の読んでいる文献が良い文献かどうかを判断できるかどうか?という点は、やっぱり、大学院に進学する前までの知識量にも大きく委ねられている気がするんですよね。
ただ、事前の知識量だけでなくても、良い文献にアクセスする方法は確実にあり、それは、「Reading List」を最大限に活用するということなんです。
必ず、どの授業にも膨大なReading Listは用意してありますし、それを見て、自分の課題で使いたい理論枠組みを探すと、概ね、エッセイの本筋は外れないですし、Meritは取れると思います。
Reading Listに掲載されている論文や本というのは、自分の専門分野の「教養」であると思っているといいと思います。
ただ、「教養」にしては、難しくて意味がわからない場合があるかもしれませんが・・・
学生へのフィードバックについて
修士課程の頃は、「先生のコメントが短すぎる!」と思っていた私ですが・・・
正直、採点側になり、短くても学生がコメントもらえるだけで、だいぶ良い方だと思っています。
というのも、これは大学の先生の怠慢という問題ではなく、イギリスの大学のマネージメントの問題だと思います。
現在イギリスの大学の多くが経営上の問題を抱えていると思います。
UCLも同様です。
例年、定員を増やしたり、学費をあげたりして、なんとか大学の経営を模索しているわけです。
その中で、スタッフの人数が増えているか?と言われると、そうでもないような気がしていて、ただただ、先生方の業務量が増え、かつ、博士課程の学生が搾取さているような感じです。
その波が、修士課程の学生の教育の質に悪影響を及ぼしてしまっている気がします。
最低限、私が一緒に働いていた先生方3人と、私たちTA2人は、誰一人、学生をFailにしたいなんて思っていないですし、Failが出ないことを願っているのみです。
ただ、フィードバックまで丁寧にいれるには、だいぶ大きな犠牲を伴う感覚でした。
そんな実態ですから、イギリスの大学はこの先、教育の質をどう担保していくのか・・・と疑問に思ったりします。
おわりに:イギリス修士課程のエッセイ課題作成に役立ちそうな記事
今回は修士課程のエッセイ課題について、私が修士課程の頃に感じていたことと、採点側になって感じていることについてまとめてみました。
正直、もっと書きたいこともありますが、あまり書き過ぎてもよくないかなと思い、このくらいで止めておきました。
この記事を読んでいる方の中には、イギリスの大学院でエッセイの書き方で悩んでいる!という方もいらっしゃるかと思いますので、最後に、これまでまとめておいた、エッセイの書き方に関する記事をリストアップしておきます。
何かしら、お役に立ちました光栄です!
コメント