こんにちはSayaです。
今回はイギリスの修士課程での課題の取り組み方について、少し私が思っていることをまとめていこうと思います。
まず、なぜ、このような記事を書きたくなったのか?というと・・・
今日、修士課程の「研究方法」のセミナーをやってきたんですね(セミナーとは、ディスカッション形式の少人数の授業です)
その時に、改めて学生の「知識の差」について感じ・・・
色々と思うことがあって、まとめておきたいなと思ったわけです。
正直、今回の内容は以前まとめていた以下の文章とも大きく関連しているので、興味があれば読んでみてください
イギリス大学院の課題の難易度
イギリス大学院の課題の難易度といっても、結局私は、自分が経験したことを基準にしか話ができないので、私の話はUCLのInstitute of Educationで出されている課題ということになります。
私は本当に大した学生ではなかったので、修士課程の頃は、知識不足に苦しみ、いつも授業ではわからないことが多すぎて、予習が追いつかなかったのを覚えています。
そして、課題は基本的に一つの授業につき5000−6000wordsのエッセイだったのですが、当時の私には5000-6000wordsのエッセイって、どんなものなのかイメージもつかず、先が見えない中、とりあえず、見よう見まねで、書きまくった覚えがあります。
私はそんな出来の悪い学生だったので、常にサバイバル状態で修士課程を過ごし、あまりロンドン観光を楽しむ余裕もなかった気がします。(辛すぎて記憶が消えてます・・・)
さて、私はそんな状況で大学院生活を送ったのですが、イギリスの大学院の課題はすっごく難しいのか?と言われると、結局は人によりけりという、ありきたりな答えになってしまいます。
というのも、今日の授業はとある論文を読んできてグループディスカッションをするものでした。
例年のことなのですが、ディスカッションをすると、学生の知識量の差というのがよく見えてきます。それとともに、修士課程でもがいていた時の自分のことを思い出すのです・・・
大学院の課題は大学院入学前の知識量で決まる?
今日の授業は研究方法の授業でした。今学期2回目の授業です。
たった2回目の授業で、学生の圧倒的な知識量の差を感じ、今後の授業をどうやって回そうかな・・・と思ってしまいました。
これだけ知識量に差があると、1回の授業で吸収できる量も全く違うと思います。
イメージとしては、同じ肥料でも、十分に耕してある畑と、まだ耕す前のカッチカチの状態の畑では、肥料の吸収率が違うといった感じでしょうか。
このような大きな差がある状態からのスタートにも関わらず、大学の先生方はかなり高度なディスカッションを求めるレベルの課題を出すので、知識が少ないと、ちんぷんかんぷんで、話し合いすらできないという状況になっても仕方ないのかな・・・と思ったりもするわけです。
先生方は、授業が難しくてついていくのが大変な学生がいることは分かっているので、授業のやり方については、色々と改善を図っています。
しかし、授業の難易度を落とすことはしないので、学問を極める上では、学生のことを対等に見ているんだろうなと思ったりしています。
そう考えると、大学院に入る前の知識量が多くなく、授業のたびに、なかなか追いつけなかった私のような学生は、処理しきれないほどの知識と物の見方を授業で体験し、圧倒さられ、落ち込み、それでも食らいつきを繰り返しながら、気づかぬ間に、知識が増えていくんだと思います。
つまり、ここでの学びは、大学院入学前の知識はあるに越したことはありませんが、それほど無くても、食らいついていくことで無限大の学びの可能性はありますし、その学んだことを最終課題に発揮することで、授業ではうまくいかなかったとしても、課題では高得点を取るということは可能な仕組みになっています。
どんな人が良い成績を取っていくのか?
とはいえ、正直なところ、残念なのですが、知識量の差は課題には反映されてしまいます。
が、カッチコチの畑のまま大学院に飛び込んだ人(私のような人間)でもDistinctionを取ることはできました。
では、どうやって取るのでしょう?
それは異文化の魔法の過去の記事を読み漁ってみてください。私の勉強方法の記録は、細かくまとめてあります。
ただ、一つだけここで取り上げるとしたら、授業で扱うテーマ(扱ったテーマ)をとにかく、ジブンゴトとして、自分の経験や、身近な出来事、ニュースに落とし込んでいくことを習慣にするといいということです。
授業で扱うテーマは抽象的なもの(理論など)が多いので、とにかく具体的に考えていくことを習慣化してみてください。
教育の文脈で言えば、過去の自分の学校経験、習い事の経験、教員経験があれば教員として働いていた経験など、とにかく、そういった事例をより多く、さまざまな視点から挙げていくと、抽象的なトピックがより鮮やかに自分の身近なことへと変化し、理解が深まっていきます。
また、授業では欧米の事例ばかりが出てくると思うので、日本の状況と照らし合わせてみるのもいい方法です。
ある教育方法や政策を分析した時、何が同じで、何が違うのか。違った場合、なぜその違いが現れるのか?そんなことを常に頭の片隅で考えていたり、調べておくといいと思います。
結局、そういったことがいいエッセイ課題の作成につながっていきます。
いいエッセイは、「オリジナリティ」があります。
模範解答のような、ありきたりなディスカッションを並べても、悪い点数にはなりませんが、とりわけ高い評価が下るというわけでもありません。
それより何より、自分の経験と照らし合わせながら、多面的な視点で考察していく姿勢がとても大事だと思います。
そういったエッセイって、評価する方も「おぉ!面白いなー」って思いますので。
アカデミックメンターの必要性
いいエッセイを書く、いい点数を取る人には、もう一つ特徴があると思います。
それは、「適切な人にしっかりと相談している」ということです。
私は今年でUCLの授業のティーチングアシスタントをやって3年目になるのですが、いつも課題のサポートのためにオフィスアワーを設けているんですね。
ですが、せっかくのチャンスを活用する人がとっても少ないんです。
私からすれば、高額な学費を支払っているんだから、活用できるチャンスは全て使うべきなのに残念だなぁと思っています。
ただ、私が修士課程だった頃を思い返してみると、「何を相談していいかわからない」というのも正直なところなのかな?なんて思ったりもします。
あとは「ある程度まで課題に取り組んで、わからないところを明確化するまでは、質問することさえもできない上、課題の期間が短すぎて、相談どころじゃない!」なんていう人もいるのかなぁと思ったり。
とはいえ、いい文章を書くためには、他の人に相談したり、文章を見てもらわないことには、前には進めません。
時には、人に見てもらうことで、5000 words のエッセイ課題の半分が書き直しとなってしまうことも、あるかもしれません。
ただ、その繰り返しで、いい文章は生まれるんだと思います。(文章なんて無限に書き直しができるので!)
以前、私は課題の取り組み方としてピアレビューをお勧めしました。
ぜひ、これは取り組めそうなら取り組んでみてください。
ただ、同じ立場友人だと、みんな忙しくて時間を作ってもらうのも気が引ける・・といった場合は、博士課程の学生や、博士号取得者がやっているアカデミックメンターを利用するといいと思います。
イギリスの博士課程の学生でティーチングアシスタントをやっている人であれば、課題の評価基準などもわかっていますし、とにかく、文章を書くことや、クリティカルな感覚は研ぎ澄まされているはずです。(毎月のように、指導教官にコテンパにされていますから・・・)
最近であれば、AIを使う方法もいいと思います。
ただ、AIを使ってエッセイの構成を練るには、私たちがある程度の知識を持っていないと、提案してくれた内容が果たして正しいのか?自分が本当に書きたい内容なのか?という判断ができないと思うんですよね。
はじめの一歩としてブレインストームに使うには、効率的で、とてもいいツールだと思うのですが、エッセイの最終的な仕上げには、他者の目とはかかせないような気がします。
終わりに
ということで、まとめです。
今回の記事のテーマであった、「どんな人が良い成績を取るのか?」という答えについては・・・
あくまでも私の主観ではありますが
「一人で頑張るのではなくて、バランスよく人に頼りながら課題に取り組んだ人」なのかなーと思っています。
本日2025年10月14日。もうそろそろイギリスもサマータイムが終わり、夜の時間が長くなり、課題が膨大に出され、授業でも全く力を発揮できない日々が続き落ち込み、てんやわんやで、気分ガタ落ちになる時期だと思うので、メンタルヘルスには気をつけてください。
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