読者のみなさん、こんにちは、Sayaです。ご無沙汰しております。
とても久しぶりの投稿となります。
見返してみたら、2025年5月に投稿した以下の記事で異文化の魔法の更新は止まっていたようです。
この記事を執筆している今日は、2025年9月30日なので、最後の記事を投稿してから4ヶ月経ってしまっていました。
とはいえ、たった4ヶ月しか経っていないとは思えないくらい、この4ヶ月は私の人生でもとても濃いものでした。
博論も無事提出し終え、少し気持ちと時間に束の間のゆとりができたので、今日は、博士論文を執筆した感想と、私の近況みたいなことをまとめていこうと思います。
2025年5月から9月までの怒涛の日々
2025年5月から9月終わりまでの期間、私は精神的にも身体的にも非常に厳しい期間であった気がします。
以前、noteの方にも話を載せたのですが、私は6月にイギリスで母のように慕っていた大事な存在を亡くしました。
まさか、彼女がこのタイミングで、こんなに早く亡くなるとは思っていなかったので、私は気が動転してしまい、とっても辛く、苦しい日々でした。
彼女が亡くなる2ヶ月前から、亡くなった1ヶ月後くらいまでは、私の学業に大きく影響が出てしまい、9月の終わりに予定していた博士論文の提出を延長しようかとも考えた次第でした。
私の指導教官も、大学の担当者も、私の状況を心配してくださり、延長希望申請は何ヶ月でも通すので無理はしなくていいと言ってくださったのは、本当に心の救いでした。
大学の友人も気にかけてくれ、ご飯に誘ってくれたり、話を聞いてくれたり、とても心が救われる日々でした。
それとともに、私はイギリスに来て、こんなにもたくさんの人間関係ができていたということを改めて実感しました。
こらちに来て、もう6年目にもなるわけですから、そう考えると、この期間、私は、ただこの国にいて、学生として勉強をしていただけではなく、私の人生にとって重要な人との繋がりが、できていたんだなと感じました。
6月の下旬になり、少しずつ精神的に安定してきたかと思えば、次は博論の執筆と学会参加の準備に追われました。
7月にはモロッコの国際学会、8月末には博士論文の完成とプルフリーダーへの原稿提出、9月の頭にはカーディフの学会参加、9月の下旬はプルフリーダーの添削を論文に反映させる作業。
プラス、この期間中、訳あって引っ越しもしなければいけなかったり、いろいろなことがあったのですが、もう私は正直、忙しすぎて記憶が飛んでいる気がします。
年に一回、疲労と貧血で倒れてしまうことがあるのですが、今年もいつか倒れてしまったような記憶があるのですが、もう忙しすぎて、いつ倒れたのかも覚えていません。
それだけ、博士論文の執筆と同時進行で起こった、その他の出来事や、アカデミアの活動参加は、身体的にも、精神的もだいぶ負担の大きいものだった気がします。
博士論文を提出終えて
博論の提出を終えた感想は、もう少し気落ちがスッキリして、達成感に満ち溢れるものだと思っていました。
しかし実際は、そんなことより、「次は論文を出さなきゃ!」というモードに切り替わり、いつまでも締切に追われている感覚があります。
それから、博士終わったあとはどうしようという焦りもあるので、求人を眺めたりしちゃうんですよね。
そうすればするほど、休んでいられないなという気持ちになるわけです。
あともう一つ、達成感を感じられないのには、イギリス博士課程の構造にも原因があると思います。
イギリス博士課程は、多くの場合、博士論文を提出した1−3ヶ月後くらいに口頭試験があり、その結果次第で、博士論文の修正が求められます。
多くの場合、修正なしで合格することはなく、多少の修正が求められると聞いています。その場合は、だいたい3ヶ月くらいの修正期間です。
しかし、口頭試験の結果、大幅な修正が求められた場合は、就職活動どころではなくなります。
これが、「風の噂程度の話」であれば、そんなこともあるんだなぁー。ふーん。で聞き流したりできるのですが、知り合いで、大幅修正になり、博論の半分を書き直すことになった人もいれば、データ収集をやり直すという結果になった人もいます。
このように、口頭試験は非常にシビアなものなので、「博論提出したー!やったー!」という気持ちになれないのも、納得いくかと思います。
イギリス博士課程について思うこと
イギリスの博士課程といっても文系・理系、所属先の大学、学部によって、だいぶ異なると思うので、一概に私の経験がイギリス博士課程の経験を一般化できるものではないことはわかっています。
しかし、唯一、どんな条件でも同じだなと思うことは「学費の高さ」です。
異文化の魔法の過去記事でも、いかに生活が大変であるか?という点については、まとめていますが、ここ数年は、より一層深刻化しています。
私の場合、貯金が尽きる前の、ギリギリセーフの状況で博論の提出に至りましたが、これがもし、あと数年遅くアカデミアの世界に入っていたら、私はきっとイギリスで博士課程に進学することはできなかったと思います。
なので、タイミングって本当に重要だなと思いました。
先日、私の友人と学費について話をしていました。
その時に友人に聞いたことは、やはり、どの学生も、この高額な学費に悩みメンタルが病んでいくということでした。
とくに、社会科学の研究だと、自分ではコントロールできない要素が多く、予定よりフィールドワークが長期化することがあります。
私の場合はフィールドワークそのものは順調に進みましたが、フィールドワークに行く前に多少つまづいてしまいました。
ですが、結果的に言えば、私の状況は比較的スムーズに進んだ方だった言えるかもしれません。
とはいえ、フィールドワークが思うように進まないというのは、非常にストレスフルな状況ですし、フィールドワークが長期化すればするほど、高額な学費と生活費がより嵩むわけです。
このダブルパンチによって、学生のメンタルは相当病んでいきます。
とどめは、指導教官との関係性の悪化により博士課程がより苦しいものになっていく人は一定数います。
なんというのかなぁ・・・
そんな話を聞くたびに、心が痛くなります。
そして、なぜ私は比較的上手く進められたのかな?と振り返ることも多いですが、正直、「運」の要素も多い気がしています。
実は、ブログに新記事が投稿できない問題が発生していた
(※以下、博士課程とは何にも関係のない話です)
この期間中、忙しくてブログどころではなかったのですが、実は、何度か異文化の魔法で、執筆途中だった記事をアップロードしようと試みていたんですね。
そしたら、なぜか、新記事を投稿できない状態が続いており、その原因究明にとても時間がかかっておりました。
とはいえ、それどころではなかったので、博論が終わったら原因をつけとめようと、放置していました。
そして、晴れて、昨日の午前中、博論が提出できたということもあり、午後から復旧に乗り出しました。
が!!
非常に難しかったのです。
とにかく、意味がわからない世界だったので、ChatGPTを使って、いろいろ試みた結果、レンタルサーバーへの問い合わせが必要であるという結論に至り、問い合わせをして、修復していただきました。
WordPressでサイト運営する上でサーバーを借りるのは一般的かと思いますが、このブログはConoha Wingのサーバーを借りているんですね。
今までなにも問題なく運営していたんですが、今回の問題発生により、とても大きな学びがありました。
今回の問題はストレージが満杯になってしまったことが原因でした。
ストレージには、サーバー上のストレージ容量と、データベースの容量の2種類があり、データベースの容量が満杯になってしまったことで新記事投稿が行えないという状態でした。
Conoha wing の場合、データベースのストレージは5GBがマックスで、私のようなブログを運営する程度では満杯になることはないようなのですが、何かのログが異常に溜まってしまっているがために、ストレージがマックスになってしまったという状態だったようです。
が、他のレンタルサーバーだと、データベースの容量に上限がなかったりするそうなので、次回の更新の際にサーバーを変えようかなー・・・と思ったり、思わなかったり・・・。
(それよりなにより、いつまで異文化の魔法を続けるつもりなのかという問題が優先事項ですが)
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